2000年6月25日 下関ボート

西島 偉業の序章は豪快逃げ

「ワシ向き」仕上げ&強烈ピット離れでSG3Ⅴ

西島義則は優勝カップを手に笑顔を見せる

世紀末のこの年は、広島支部の両雄がボートレース界を席巻した。1人は市川哲也。年末の大一番・賞金王決定戦(現グランプリ、平和島)を3コース捲りで制して黄金のヘルメットを戴冠すると同時に、初の賞金No・1に輝いた。そして、もう1人は今回の主役である西島義則である。結論を先に書くと、SG3連続優勝を成し遂げたのだ。その序章が下関での第10回グラチャンだった。

初日は2コース差しで白星発進を決めたものの、乗り心地に不満を抱きギアケースに着手。ウイークポイントは即座に解消され、握り込みも強化と納得の「ワシ向き」な仕上がりへとステップアップした。予選5走を4勝3着1回で得点率トップ通過すると準優12Rも危なげなく逃げ切り。本来ならポールポジション獲得!だが、当時は事前の抽選で枠番が決まっていた。結果的に1枠に入ったのは太田和美で、西島は2枠で優勝戦を迎えた。

迎えた本番。体重を50キロ台に絞って臨んだ西島は強烈なピット離れで太田からインを奪うと、Fに散った小畑実成、松本勝也のアウト2艇の早仕掛けに惑わされることなくコンマ07の的確Sから力強く先マイ。98年の総理大臣杯(現クラシック、まるがめ)以来となるSG3勝目へと突き進んだ。

表彰式では「幼稚園の頃から育ててくれたじいちゃんとばあちゃんの笑顔が浮かんで…」と、涙交じりで島根県鹿足郡柿木村(かのあしぐんかきのきむら、現吉賀町柿木村)の祖父母へ勇姿を届けた。

その後は地元・宮島のオーシャンカップで植木通彦とのデッドヒートをモノにすると、続くモーターボート記念(現メモリアル、若松)が5コース差しで突き抜け。74年の野中和夫以来となるSGV3という金字塔を打ち立てた。

 

<スポニチボート記者・石丸秀典>