気恥ずかしかった〝中道杯〟

 

    99年に引退して、翌年3月からスポニチさんで評論活動をすることになりました。主にSG競走での執筆ということでしたが、当時は地元のG1鳴門周年記念でも『名腕が斬る』のコーナーが設けられていたのでレースを記者席から見ることに。最初は不思議な感覚でしたね(笑い)。
    レーサーを辞めてからも、ありがたいことにボートレース鳴門さんには、いろいろとお世話になりました。トークイベントや『中道善博記念館』という私が獲得したSG優勝カップなどを展示した催事をしていただいたり。そして“中道杯”という競走まで企画していただきました。
    2010年10月、G3新鋭リーグ戦で『中道善博杯争奪』という自分の名前が冠名に。これには気恥ずかしいものがありました(苦笑)。その第1回で優勝したのが茅原悠紀。プレゼンターで壇上に上がった時に「SGなら何のタイトルが欲しい」と聞けば茅原は「グランプリ」の返事。その4年後、平和島で夢を実現させるのですから、忘れられないレーサーの一人になっています。
(本紙評論家)

 

2010年10月、鳴門『第1回中道善博杯』優勝者・茅原悠紀(右)とともに記念写真に収まる中道善博氏