鳴門移住が人生の岐路に

 

私が生まれたのは大歩危小歩危で有名な渓谷地帯の徳島県祖谷。息子が山奥から高校に通うのは大変だということで、私の父が県内の鳴門市への移住を考えました。饅頭職人だった父はそのために、大阪で寿司職人の修行を積んで鳴門市にある寿司屋で働くことが決まり、一家揃って鳴門で生活することになります。

 

鳴門工業高校に進学した私ですが、もう勉強するのが嫌で嫌で…。家出して大阪に行ったこともありました。そんなくすぶっていた時に、高校の1学年上の先輩がボートレーサーになったということを聞きます。収入の良さもあって、思い切って高校中退を決め、艇界への門を叩きました。そこでボートレース鳴門と出会うことになります。

 

父が鳴門に移住していなければ、私はボートレーサーになっていなかったと思います。これが人生の転機になったんでしょう。その後、ホームプールとなる鳴門との相性はピッタリ。75年に鳴門で開催された四国地区選でG1初優勝を決めます。これが艇界最高峰レース・SG優勝への足がかりとなるんですね。

鳴門でボートレーサーになったことで、その後のSG優勝につながることになる中道善博氏